あひるのひとりごと

国指定の難病であるSLE(全身性エリテマトーデス)患者だけど、精一杯生きてます。大好きな植物さんのこと、ルーマニアの伝統楽器パンフルートのこと、夢の実現への足取りや、そのほか想うこと…書いています。

大きな麦の物語 その1「水あめ作ろう♪」

 プロローグとして

 

 

 昔々、私が中学1年生頃のこと。

 環境問題に興味を持ち、小学校卒業時は「環境庁の女性長官になって地球を守る」と大それた夢を持っていた私も、政治家の汚職問題ですっかり嫌気が刺し、「じゃあ、本当にこの地球環境を守って来たものは何だろう?」と自問していた時のこと。心の中にふわぁーと浮かんできたイメージがありました。

 

 それは一面、緑の景色…。

 

 私ははっとしました。

 「地球を守って来たのは、農家だ。今は農家の後継者不足。自然に優しい有機農業者になって支えて行こう」

 

 それ以来もう進路は農業高校の農業科に入ることで一直線。無事に入って卒業したもののその後は紆余曲折を経て一度就農は挫折し、しかし何の因果か現在の主人に出会うことで農業界に舞い戻り、細々と自然農業をしながら現在に至っています。

 

 今でも、その景色が何だったのか?わからないままです。

 稲の生い茂る田んぼなのか?

 牧草生い茂る牧草地なのか?

 麦の生い茂る畑なのか?

 穂が出ていないので、そのいずれなのか全くわからないのですが、稲にしては色が濃く、牧草地にしてはもっと直線的に茎が太いイメージからすると、「大麦」の畑だったような気が、今はしています。

 

 

 なんで、大麦??

 

 

 きっかけは「年をとったら自宅でテイクアウト専門のドリンクとお菓子の店が出来たらなぁ」と妄想を膨らませた途上でのこと。基本は自家もしくは地場産品を使ったものが素材です。その中でぼんやりと「大麦」という存在は候補には上がっていました。

 

 結婚してここに住み始めた当初、この地域は昔大麦を栽培して、かつてあったという水車で押し麦に加工していたということを古老から聞き及んでいました。実際に今も一つ下の集落ではビール用にわずかですがミカモゴールデンという二条皮麦を栽培しています。

 また、山を一つ越えた神社の縁起物が「むぎこがし(はったいこ)」と呼ばれる大麦(関東は主に皮麦、関西では裸麦を使うらしい)を香ばしく炒って挽いた粉であることからも、大麦はこの付近では太古の昔から大切にされていたことがわかります。

 何故大麦なのか?お米は何らかの要因で、とても手に入りにくいものだった。しかし、大麦は当時とても身近なものであったのではないでしょうか。それには地形的な問題もあったと私は思います。山の上のここでは入梅前の湿度が高く、小麦は向いていないのです。それは数年前に遊びで、地粉で有名なナンブコムギとパン用のユメカオリ、麦茶用の六条皮麦(麦の品種については後日詳しく)のシュンライと六条裸麦のもち麦、土作りに使われるライムギとオーツ麦を育てた時、一番早く穂が立つのが大麦であるシュンライともち麦であることから気付きました。つまり、収穫期に雨に当たると良くない麦類の中で、梅雨前に収穫し易いのが大麦なのです。

 

 ただこの時は折角収穫したものの、シュンライの活用は麦茶ぐらいしか思い浮かばず、もち麦はようやく脚光を浴び始めたぐらいの時期で、玄米ご飯にそのまま炊き込み「固いなぁ~」と思いつつ食べていた程度でした。押し麦は特殊な装置がないと家では出来ないし、むぎこがしは皮麦の場合、炒ったあと製粉し、ふるいで皮を取り除くというやや厄介なもののため、私の中で大麦は手を持て余す存在と化していました。

 

 その後も日本での食用の歴史などを調べてみましたが、「ひきわり麦」や「えまし麦」といった記述しかなく、明治から大正にかけて「押し麦」が発明されるまでは、ぼそぼそした貧乏人の食事という地位に甘んじていたようです。それは世界での歴史も同じで、大麦は草勢が強く比較的早く普及したのにもかかわらず、小麦やその他の穀物に地位が奪われていき、貧乏人や飼料・酒の原料として生きながらえてきた存在であるようです。その後、日本では戦後の栄養補給としてビタバアレーがご飯に炊き込まれ、しかし雑穀ブームの時には目立たず、健康茶ブームにはそのベースとして必死に縁の下を支え、だけど健康食として学校給食や病院食には麦ごはんがじわじわ根付き、もち麦のブームが現在到来中…といった遍歴を経てきているようです。

 

 

 忘れられた甘味料

 

 

 それが、がぜん私の中で大麦が「大復活」したのが今年の秋。それは「砂糖の代わりになるもの」探しの最中でした。

 ドリンクにしろ、お菓子にしろ、必ず「砂糖」がつきもの。国産といえば北海道の甜菜糖か沖縄の黒砂糖が思い浮かびますが、地元が牛乳や野菜の産地であるが故、出来れば砂糖も地元の物を…と考えていくと、代わりになるものといえば地元産のはちみつはありますが、なにぶん値段が張ります。花の資源量も限られているので、おいそれと増産は出来るものではないし、しかも一歳未満は摂取禁止。では甘酒はどうかというと、結構癖があるので好きな人は好きですが、主人みたいに嫌いな人もいるし…。

 

 そこでハタと気が付いたのです。「麦芽水あめがあるっ!」と。

 

 麦芽水あめ。

 麦の種子を発芽させ、乾燥させて粉末にしたものを、でんぷん質に作用させてできる天然の調味料。ご飯が口の中で唾液中のアミラーゼよって分解されて甘くなるのと同じ。麦芽を炒ったものや、もち米で作られた飴は滋養あるれっきとした漢方薬であり、恐らく有史以前、人類が大麦に会ったと同時に生まれ愛されて来たであろう歴史ある甘味料。私の中では昔の甘味料といえば「甘蔓(あまづら)」の方が頭に引っかかっていて、「飴」と表記されたいわゆる水あめのことはこの時まですっかり忘れていましたが…。

 

 これなら手間はかかるけど、自宅で作ることが出来ます。以前のマルシェで自家製の甘酒と麦芽水あめで作ったお菓子を売っている人に会って、珍しいなあと声を掛けたことも思い出しました。ましてやここはビール麦を育てている産地。近くの地ビール工房に頼めば地元麦で作った麦芽を分けてくれるかも?と安直に考えたわけです。

 で、早速工房へアタック。しかし「小売りは出来ません」と惨敗。ならばとネットで麦芽の小売りをしているところを探すと、あるにはありますが…産地が遠い。でも、身近には畑がある。ならば「じゃあ、一から麦を自分で育てちゃえ!」となったわけです。

 

 大きな麦の物語 その2「大麦を育てよう」に続きます。