あひるのひとりごと

国指定の難病であるSLE(全身性エリテマトーデス)患者だけど、精一杯生きてます。大好きな植物さんのこと、ルーマニアの伝統楽器パンフルートのこと、夢の実現への足取りや、そのほか想うこと…書いています。

「せっけんを彫っています」

 最近、始めたことがあります。それは「せっけんを彫る」こと。

 

 いわゆるタイ発祥の「ソープカービング」ではなくて、イメージとしては「木版画」や「鎌倉彫」に近い物で、まだどんな姿が完成形になるかも見えていませんが、とにかく、ネットで見つけたフリーイラストを図案に、家にあった素材を試しに彫っています。

 

 それは何故に?という声が聞こえてきそうですが、私としては、紆余曲折を経てようやくやるべき素材を見つけた!!(涙)といった気分です。

 

 

 昔から木を彫ったり紙を切ったりするのは好きだった私。父が毎年彫っていた年賀状のゴム版に影響を受けたのでしょうか。小学校時の版画の自画像作品や中学校時のシルクスクリーン篆刻、そしてホオノキの白く美しい花を彫りこんだ木彫、チューリップのレリーフ額などが今も心に残っています。

 

 それから数十年。数年前の入院中に感じた想いを原点に、殺風景な病室にそっと飾れるような、そして見た人にも贈った人にもささやかな希望になるような、「窓から見た風景」をモチーフにしたはがき大の切り絵や木版画作品みたいのをやってみたいなぁ、と考え始めてから試行錯誤を繰り返し現在に至ります。

 

 

 実家から持って来ていた彫刻刀を手に、版材のホオノキの板を買ってきて実際に彫ってみると、木版画の材料はホオノキが良いというけど素人にはやりにくいし、第一ホオノキを切らなくちゃいけない。出来ればそれはしたくないなぁ。絵の具の環境への影響も気になるし、とボツ。

 

 シルクスクリーンや切り絵はどうかな?と百均で色紙を買いそろえて、デザインカッターを入手し始めてはみたものの、作りたいイメージと出来上がりがしっくりせず、ボツ。

 

 塩ビの透明シートを彫るというがあるのを知って、専用の彫刻刀も入手しほんの少し手を出してみたものの、図案が決まっていたり、かといって自分で図案をひくのは苦手だし、切りカスや作品自体の廃棄時を考えると気が進まずこれまたボツ。

 

 指で描くパステル画もきれいなんだけど自分の中でイマイチピンとこない……。余程の傑作でなくてはすぐ飽きてゴミになってしまうかも、と百均で道具だけそろえたけど作品とはならず終了。

 

 他にも、香りが与える人間や環境に与える効果からアロマを使った芳香剤、キャンドルアートやレジン、不要な布を使った布草履などなどなど自分がやってみたいことを検討。が、素材の調達や廃棄時の問題、社会的要求度などを考えると心の中でいずれもどこかしっくりしないものがあり、また仮に出来上がったとして、これで人様に欲しいと思ってもらえるものになるんだろうか?と自信もなく、初期的に色々な道具や材料を集めて少し試作してみるも、家の中にはそれらの道具や素材や作りかけだけが散り積もっていく……という状態に陥っていました。

 

 単なる飾り物を作りたくない。

 環境にも負荷になる物を作りたくない。

 人に喜んでもらえる物を作りたい。

 ささやかな希望を灯せるような……。

 そして現実的に、出来れば結果として現金化できるものを作り上げなくてはという焦りもありました。

 

 でもこれらをすべて叶えるなんて、単なるわがままなのか?と自問自答する日々。

 

 ところが今回、その転機はひょっとしたところから現れたのです。

 

 

 NHKで仕事中の昼食(主にお弁当)を拝見するという「サラメシ」という番組があって、普段からよく再放送を見ているんですが、正月明けにたまたま見た時、「ぎゅうにゅうせっけん、よいせっけん♪」というCMで有名な(年代がバレますね笑)「牛乳石鹼」の工場が出ていたんですね。そこで映し出されていたのは、大きなタンクで原料の油脂と苛性ソーダ等を混ぜ合わせ、熱を加えながら撹拌してゆく「鹸化(化学反応によって石鹸に変化させること)」の作業風景でした。

 現代ではとっくに完全自動化されていると思いきや、鹸化作業ではその日の気温や湿度によって、材料を加えていくタイミングや作業を切り替える工程の判断に石鹸職人さんの経験と勘が欠かせない、とのこと。番組ではベテランから若手へのその技術の継承がされていく様子と、その職人さんたちのお昼の様子が続いて紹介されていました。

 

 昔、環境問題に関心があったことから石鹸については多少なりとも知識があった私ですが、実際の様子を見るのは初めてで、その石鹸釜の中でフツフツと煮立つ姿がやがて固形の石鹸へと変わっていく実際の姿を興味津々見ていました。と同時に、私の中では連想ゲーム式に昔読んだ本などのいろんな知識を何の気なしに思い出していました。

 

 いい石鹸はネズミがかじる。←油脂が乳化した状態で栄養豊富。安全性が高い。

 被災者となった時、その物資の中に入っているであろう一個の石鹸。災害が起こると、行政から注文が来る。送り出す時、石鹸屋さんが込める「被災者へのささやかな祈り」。←希望・応援のこもった暖かい心の象徴。

 出来上がった牛乳石鹼←固形バターみたいだよなぁ。そういえば昔、テレビでチベットだかどこかで寒いところで、「バターで作る仏像細工」があるのを見たっけ……。

 

 石鹸……細工。と、繋がってそこでハタとひらめきました。あれ、確かそんなのがあったような??

 

 調べてみるとありました、タイの伝統工芸、「カービング」。野菜や果物をはじめとして、石鹸などを彫刻したりする技術。

 

 そうか、せっけんなら……。

 

 作った時も人の手に渡った時も、塩ビやキャンドルやレジンと違って処分に困らない。

 アロマ入りなら心も和む。

 誰もが日々お世話になるもの。誰に贈っても喜ばれる。退院祝いにもいい。

 飾っても、使ってもいい。自然へと帰っていく。

 

 彫る素材としてこれほど身近で、彫り易くて、誰にも迷惑かけないものってないんじゃない!?

 

 これだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

 

 ようやく見つけた!

 ようやく作るべきものが見つかった!

 私が目指すべきものが見つかった!

 喜びのあまり心の中て私は万歳三唱していました。

 

 

 ところが、早速ネットで情報収集、図書館で資料を借り……と始めたところ、またもや問題発生。作品類の写真で、自分の感性がピンとくるものがない。

 

 あれ?なぜ?

 

 答えは実際に試作してみて徐々にわかって来ました。

 

 通常、「ソープカービング」と言えばバラの花のような繊細な作品に代表される、タイの伝統方式を指すようで、それは専用のカービングナイフとタイの専用彫刻刀を使って製作します。彫るとは言いますが、実際には素材に切れ目を入れて余分な部分を切り取るといった作業のため、使う石鹸も柔らかくなめらかで、彫ると粉の出るような硬い物では出来ないのだそう。いわゆる日本人のなじみ深い版画用の彫刻刀では代用できないし、カービングナイフ一本あればほとんどの細工が出来るのでわざわざ日本の彫刻刀を使う理由もないとネットでは書かれていました。

 

 ところが、私が描くイメージは、鎌倉彫のような写実的でシンプルなものです。芸術品ではあるけど使うのがもったいないほどの華美ではない。日本の彫刻刀で、身近な草木をモチーフに、周囲に切れ込みを入れて浮かび上がらせ、それ以外は飾り彫りを一面に入れる感じ。意外にもそのような感覚でせっけんを彫っている方は少ないようなのです。

 

 また実際やってみるとどうやら使う石鹸選びにも差があるように感じました。柔らかめの石鹸ではカスが彫刻刀にまとわりついてしまい、彫りにくい。むしろ彫ると粉々になるくらい(限度はありますが)の方がカスを刷毛で取り除くことができ、しっかりと彫りやすいみたいなのです。

 

 でも、最適な素材は見つかったんだから。

 私は私のやり方でいい。

 私の作品として開拓していこう。

 

 今はそう思いながら、時間を見つけては彫っています。まだ開拓中ではありますが、とりあえずこれがいいかも?という石鹸も見つかりました。目標は5月の友人のイベントでの販売です。

 

 どんな作品にたどり着くか……はその時までのお楽しみに。

 

 ではまた。