あひるのひとりごと

国指定の難病であるSLE(全身性エリテマトーデス)患者だけど、精一杯生きてます。大好きな植物さんのこと、ルーマニアの伝統楽器パンフルートのこと、夢の実現への足取りや、そのほか想うこと…書いています。

〈SLE体験談その4〉

〈SLE体験談その4〉

皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年、良い事があった人も、あまり喜ばしいことがなかったと感じている人も、とにもかくにも、仕切り直し。リセットして、気持ちの切り替えをする、年に一度のチャンスですね。
皆さんにとって実り多き一年でありますように!
 
さて、体験談の続きを。
 
年をまたいだので一昨年前のことになってしまいますが、12月25日からかの有名なステロイド(副腎皮質ホルモン)をメインによる投薬治療が始まりました。重症の方は多量に投与する「パルス療法」と呼ばれる方法をとったりするのですが、幸い入院してから腎炎の数値が落ち着いていたので、私の場合は内服による中程度の量からの開始でした。
SLEという病気にとって、ステロイドは欠くことのできない薬です。1950年代に一般化するまでは、合併症で5年生存率がとても低かったそうですが、現在では90%以上の患者さんの長期緩解(症状が落ち着いている状態)が得られるようになったとのこと。アトピーなどでは何かと目の敵にされる薬ではありますが、私のとってはありがたい薬です。ただし人によっては劇的な副作用…血圧の変化や血糖値の上昇、精神障害(うつ)などいろいろ…が起こることがあるので、入院して様子を見ながらの投与開始が必要なのです。

 投与が始まってからは、日に日に症状が改善していきました。まず熱が下がり、関節の痛みが和らいできました。だるさも徐々に軽くなり、寝たきりだったのが体を起こせるように。食事もお粥だったのが、普通の白飯でも食べられそうだと思えて来たので、正月元旦の食事から戻してもらいました。おかげで、大みそかの天ぷらそばは食べはぐった(うどんと野菜の煮物だった…同室の人の話を聞いて「一日早くすればよかった!」と後悔)けど、ささやかな正月料理は頂くことが出来ました。むしろ、家族はこれだけ手をかけた料理は今頃食べてないかも?と内心申し訳ない気持ちでありがたく完食しました。
 心配だった副作用ですが、幸い血糖値・血圧とも変化はなく、精神障害等も出なかったのでほっとしました。多少、ムーンフェイス(顔面が満月の様に丸くむくんでしまうステロイド特有の症状)になっていたようですが、元々が丸顔だし、マスク常時着用なので、そんなに自覚はありませんでした(笑)。また、睡眠障害は出たのですが「うなされて眠れなくつらい」のではなく、「目が冴えて眠れな~い!!」状態でしたので、逆に今までの事・これからの事・いろんなことに考えを巡らす絶好のチャンスとしてその時間を利用していました。

 体調が良くなるにつれ、周りの状況や人の動きなどにも興味が出てきました。入院すると聴覚や味覚・嗅覚に敏感になると言いますが、本能的になるのでしょうね。

入院生活のあれこれについては、また次回以降に。
それでは…。

〈SLE体験談その3〉

〈SLE体験談その3〉

皆さんこんにちは。あっという間に今年もクリスマスが過ぎ、もうすぐお正月ですね。
今回は、SLEそのものの体験談というより、病院に入院して感じたことについて。


体験談その2の終わり、つまり12月25日からさかのぼること2日前、夜の出来事でした。まだ治療が始まる前で、大部屋から出るのは車椅子を看護婦さんに押してもらっていくトイレの時ぐらいだった頃です。廊下の向こうの方から何やら明るい歌声が聞こえてきました。うすらぼんやりとした頭で「おや…?」と耳を澄ましていると、どうやらクリスマスソングのようです。その歌声がだんだん近づいてくるにつれて、はっきりと歌詞が聞こえてきました。
あわてんぼうのサンタクロース、クリスマス前にやって来た♪…」。言わずと知れたあの曲です。
やがて病室に「やって来た」のは、いわゆるサンタの衣装(…してたと思う)を着た二人組(…だったと思う)の若い女の子たち。私の元にもやって来て、プレゼントを渡してくれました。それは、可愛いサンタのイラストと『メリークリスマス!このひとときが、あなたの安らぎになりますように。』と手書きされたメッセージのクリスマスカード。裏には『看護学部 学生一同』とあり、彼女たちはつまり「白衣の天使の卵」だったのでした。
その時、私は彼女たちに何と言ったかな…?「ありがとうね」ぐらいしか言えなかったと思います。クリスマスソングだと気付いたあたりから、もう涙腺ウルウル状態だったと思うから。

病室というのは、とても閉鎖的な特殊な空間です。そして変化が少ない。もちろん、昔に比べたら、テレビはあるし外の状況は知ることは出来ますが、自分はそれから疎外しているという感覚はひょっとしたら、刑務所にいる方などと同等かもしれません。そんな中で、「あぁ、自分にもサンタさんが来た」というささやかな一瞬の喜びは、とてもとても、とても大きいものです。
私は今までどうも、御馳走たらふく食べてケーキ食べてプレゼントを交換してはいおしまい!というスタイルに食傷気味で、子供もそんなに興味がない方だし…とクリスマスに消極的でした。中東でのキリストさんの誕生を祝う日が北欧の冬至の祭りとごっちゃになって、ツリーを飾り真っ赤な衣装のサンタさんがプレゼントをくれる日になり、きっとキリストさんが今見たらびっくりするだろうけど、何となく「きっといいことがあるかも」という希望の火を心にともしてくれる、そんなイベントがあるのは、とてもいい事だと実感した去年のクリスマスでした。

今年も、彼女たちはきっと病室にひとときの安らぎを届けに来たのでしょうね。もちろん、大学病院という大きいところだからできることではありますが、これからきっと毎年、クリスマスが来るたびに私は、彼女たちのことを思い出すと思います。実は退院前に、彼女たちに再び会うことになったのですが…その話はまた、後日。

ではまた。

〈SLE体験談その2〉

〈SLE体験談その2〉

皆さんこんにちは。今回は本入院してからの話を。

昨年の12月16日に入院したものの、すぐには投薬治療開始ではなく、もう一つのつら~い山場が待っていました。それが忘れもしない「腎生検」と呼ばれる検査。


SLE(全身性エリテマトーデス)は全身のあらゆる臓器に症状が出ますが、出やすいものの一つに腎臓があります。私の場合も尿たんぱくが出ていましたので、それがどの程度の炎症を起こしているか等を実際に組織を採取して調べなくてはならなかったのです。リンパ節は手術室で採取したので、そうなのかなと思いきや、何と入院している大部屋で超音波検査しながら、局部麻酔で金属のストローの様な器具を腎臓に突き刺し(!!!!)組織を採取するとのこと。で、その直後、止血のため腎臓を数人がかりでギュウギュウと圧迫し、以降は重石で身動きの取れない状態で止血する時を待つ…。ネットで予備知識としては持ってはいましたが、実際に体験してみて、もう一度やるか?と言われたら私、即答出来ないです。これは。

入院してからは、痛み止めと熱さましで症状の苦痛は幾分和らぎ、食事の心配もなく(ただし普通の白飯は食べられず、おかゆにしてもらっていました)、看護婦さんの手厚いお世話で、家にいた時より精神的にも楽になっていたのですが、腎生検のあった夜は、大部屋であったにもかかわらず、一晩中「痛いよぉ~先生早く来てよぉ~」とうわごとのように小声で連呼し続け必死に耐えていました。生検そのものの傷の痛みというより、圧迫痛といいいますか、重石の痛みと、不自然な姿勢でいる腰の痛み(だったと思う)と、なおかつ絶対動いてはいけないプレッシャーと、熱で朦朧となっている意識とでないまぜになった苦痛。夜中に、当直医の先生が来て下さって、点滴に痛み止め(だと思う…あまりよく覚えていない)を加えてくれたけど、とにかく、朝が来るまでが長かった。よーーーーやく、腎臓内科の先生が超音波の機械をゴロゴロ押しながら来て、モニターを覗きながら「良く頑張りましたね~、きれいに止まっていますよ~」と言ってくれた時の嬉しかったこと!実際に安静がとけるのには数日を要しましたが、晴れて重しが取れ苦痛が減り、ほっとした瞬間の気持ちは忘れられません。

が、後日冷静になってから赤面したのは、同室に居合わせた方々にも、眠れない一夜であったであろうということ…。耐えるためとはいえ、本当に本当に申し訳なかったです。個室だったらよかったのにね。

腎生検から数日が経ち傷が落ち着いて、リンパ節の結果もSLE由来の症状であることが判明したところで、めでたく、ステロイドによる投薬治療が始まったのが、12月25日、クリスマスの日でした。

体験談その3へ続きます。

〈SLE体験談その1〉

〈SLE体験談その1〉

皆さん、こんにちは~!あっという間に12月、師走ですね。お元気ですか?

去年の今頃は、病状としては最悪のど真ん中でした。
全身が痛い、熱はある、食欲はない、眠りたくても眠れない、毎日がしんどくてトイレに行くのがやっと。
数日後の入院を控えたところで、早く治療が始まってくれよ~と自宅でウンウンうなされながら、ひたすらベットで耐えていた日々…。それに比べたら現在は天国です。

自覚症状の始まりは、朝の両手の「こわばり」でした。朝、何となく手のグーパーがしづらいような…。
「?」という日々が続き、次に手首に鈍い痛みが。風呂の湯をかけるのに、湯桶が重い。そうこうしているうちに膝に痛みが走り、肩が痛くなり…と段々にエスカレート。

ネットを調べて、まず疑ったのが関節リウマチで、町内のリウマチクリニックへ。
ところがそこでは血液検査のみで、「はい、じゃあまた一週間後に」で1カ月近く。らちがあかないので、他のリウマチ専門病院へ。そこでの診断は速かった!

現在お世話になっている大学病院から数年前に独立した姉御肌の女医さんで、血液検査とMRIで「恐らくSLEだね~ただ、全身のリンパ節がボッコボコに腫れてるから、一応その線も考慮して、ハイ、大学病院行き!」とすぐさま紹介状を書き、予約を取ってくれました。(先日、一年ぶりに、インフルの注射を受けに行ったら「あらぁ~よく生きてたねぇ~」と言われました笑)

で、大学病院にはその予約通りに朝行ったものの、一日目は終わったのが、何と夜6時近く!長かった(涙)。
それから数日かけて胃・腸・肺・心臓・眼科など一通り検査を受け、左わきの下のリンパ節切除の為の検査入院、一旦自宅待機(この時が最初に触れたどん底状態)を経て、12月16日からの2回目の本入院と相成りました。

続きは体験談その2で。ではまた!

〈SLEとノーベル賞〉

〈SLEとノーベル賞

 先月の朝日新聞デジタル版の記事で、卓球女子元日本代表であの福原愛さんとダブルスを組んだこともある若宮三紗子さんが、私と同じ「全身性エリテマトーデス(SLE)」であると公表されていました。幸い軽症で推移していたようですが、今年3月の現役引退まで、病気を抱えながらの選手生活はさぞかし大変な事だったろうな~と思います。
 ちなみに、かのマイケルジャクソンさんもSLEだったということ、皆さんご存知でしょうか?


 今回はちょっと長文となりますが、私のお付き合い(?)相手の「全身性エリテマトーデス」について少し紹介します。

 まず名前から。
 略称のSLEとは
システミック(=全身性)
ループス(=狼。狼に噛まれたようなと称される皮膚症状より)
エリテマトーデス(=紅斑症状)
の頭文字のことです。
 人間が持っている免疫のシステムが何らかの要因によって異常をきたす「自己免疫疾患」の中で、「膠原(こうげん)病」の分類に入る国指定難病49番の病気です。
 難病登録患者数が約6万人、全体数で言うと約10万人の推定患者がいるとされます。

 病気の仕組みは、ごく簡単に言えば、「体内の正常な細胞」を「自身の免疫細胞」が暴走して「敵」と認識してしまい、抗体を作って攻撃してしまうために起こります。
 食物アレルギーや花粉症はいわば外部から入って来る敵に対して免疫細胞が暴走する病気ですが、SLEは身内を攻撃しまくるのですからたまりません。
 結果どんな症状が出たか言うと、私の場合は、関節が痛くなって歩けなくなるわ、熱は出るわ、食欲がなくなるわ、腎臓をやられて(ループス腎炎と言います)蛋白尿は出るわ、睡眠がとれないわ…など、一時もーろーとしてました。人によっては神経症状や顔面の蝶形紅斑、心臓に症状が出る方もいるそうです。
 詳しくは後日体験談をアップしますね。

 現在行われている治療は、主にステロイド免疫抑制剤の服用による炎症を抑える対処療法であり、根本治療はまだ確立していません。私の場合は、血漿交換(まあ、いわゆる透析と同じと考えてください)も2週間に1度、行っています。
 炎症の数値は徐々にですが下がってはいるのですが、副作用の強いステロイドをもう少し減らすにはまだまだ時間がかかりそうです。
 ステロイドの副作用で骨粗鬆症になりやすいので、月1回の予防薬も服用。これの服用中は歯医者で歯を抜いたりするとき注意が必要となります。

 日常生活で気を付けなければいけないのは、何といっても紫外線と感染症!。
 紫外線を多く浴びると体内で病気に悪影響を及ぼす物質が出来てしまうため避けるようにとのこと。
 感染症は、免疫抑制…つまり、暴走する免疫細胞を無理やり抑える=免疫力を下げることにより症状を和らげているので、外敵に対する抵抗力が弱くなっているため、注意が必要なのです。
 これにより、土いじりはご法度、雑菌と人混みは避けるように、風邪は引かないようにとのこと。体内に住んでいる特殊な常在菌が暴れないように、エイズ患者の方が服用しているのと同じ薬も飲んでいたりします。

 ところで余談ではありますが、この度ノーベル賞を受賞した本庶先生の授賞理由は
「免疫抑制の阻害による(わかりやすく言うと、『免疫の働きの低下を防ぐ』)がん治療法の発見」
だそうです。
 ちょっと難しい話になりますが、先生の発見された「PD-1」というタンパク分子は、免疫細胞の一種「T細胞」の攻撃のブレーキ役を果たすスイッチであり、がん細胞はこのスイッチを押すことで攻撃をやめさせ、身を守るのだとか。これを押されないようにカバーするのが、あの抗がん剤「オブシーボ」の効く仕組み。
 テレビでこの解説を聞いていておや?と思った私。
調べてみると、「PD-1」が欠如したマウスは、系統によりSLE様の症状を示すものがいるそう(京都大学大学院医学研究科免疫ゲノム医学本庶研PD-1のHP資料より)で、先生の研究は「抗がん剤の開発に寄与した」と同時に、「免疫疾患の仕組みの解明の一助を担っていた」のでした。ノーベル賞受賞の研究が自分の病気と無関係ではないことで、遠い存在だった「ノーベル賞」が何だかすごく身近なもののように感じてしまいました。
 ただ、じゃあ単純に「PD-1」の働きを強める薬を開発すれば暴走を止められるじゃないか?とシロウト考えに陥りたくなりそうですが、免疫疾患への応用の方が、がん治療より実は「さじ加減」が難しいようで…今後の研究が待たれます。

今日はこの辺で。次回は体験談その1かな~。

「近況お知らせ ~その後~」

4月に引き続き、知り合いの方々に、「近況お知らせ ~その後~」のはがきを先日書きました。フェイスブックにもダブりますが、同じ文面を載せます。

 暑い夏が過ぎ、皆さまお変わりありませんか?
近況報告の際には、温かい励ましの言葉をたくさんいただき、人の縁とはこんなにありがたいものだったかとあらためて感謝しています。ありがとうございました。
 私の方は、その後無事、パートに復帰することが出来ました。週2日程、以前とは違うセクション・なおかつ短時間ではありますが、新鮮な気持ちで仕事に励んでいます。...
体調については波があり、しんどい時は無理せず横になりながら、家事や調整作業の手伝いや雑用をしつつ日々を過ごしています。現在は豊作だったブルーベリーの収穫が8月末で終わり、選別作業から解放されてほっと一息ついたところです。
 病気になったことをきっかけに、逆にやりたいことの道筋が見えてきたように思います。焦り過ぎずコツコツと一つずつ実現していきたいと思っています。それではまた!

2018年9月 藤井博子

夢を叶えるには

夢を叶えるには

ブルーベリーの収穫が終わり、選別がなくなったので、少し時間ができました。散らかった部屋の整理と掃除を再開しつつ、不定期ですが色々アップしていきたいと思います。

まずは昔ばなしから。

高校時代、通学途中にあったとある看板の文言が何となく気になって今も心に残っています。

「夢は人に話すことにより実現します」

確か不動産屋の看板だったと記憶しているのだけど。細かい所も覚え違っているかも…でもなるほど名言だと思う。

どんなに良いアイディアでも、誰かに伝えなければまさしく絵に書いた餅。銀行でも商工会議所でも保健所でも家の中でも、まず相手の心を動かすことから…それが起業の第一歩。

夢を口にすること。

それは即ち、こうしたいなぁという自分の心に素直に生きることでもあるのかな。病気してからなおさら身に沁みて感じます。ささやかな夢から大きな夢まで色々あるけど、後悔しない人生を歩みたいと強く思うようになりました。

ただし口にしてはいけないこと、それは他人の悪口!
それには口にチャックだね、カネゴンくん。

写真の説明はありません。