ある夜、一人、ポツンと考えていました。
「これからの未来は何を見つめていけばいいんだろう?」
頭に思い浮かんだのは、真っ白いノート。
そういえば、どこかの予言者の言葉があったっけ……。
「20??年以降の人類の未来は真っ白で何も見えない。あなた方の描くもの次第だ。」
よく、卒業式や結婚式で「キミたちの未来は真っ白いキャンバスだ、自分の夢を思うがままに書けばいいんだ」とはよく言います。が、じゃあ、実際に書き始める時、人はどうするか?
まず、自分の心の中にイメージを描く。そしてそれをもとに下書きをし、色を塗っていく。自分の中にイメージがきちんと描けたら、もう90%は絵が完成したも同然(上手い下手は別として)。
しかし、イメージが浮かばない、書きたいものがない、始める手掛かりさえない時は?
この状態、うつや引きこもりの時の心理にとても良く似ています。
実際にはノートやキャンバスといった二次元より、辺り一面前後左右が真っ白な霧に覆われた中にポツンと一人立っている、という方がしっくりくるでしょうか。
純粋・無垢・希望のイメージがある「白・光」ですが、実は「黒・闇」よりも怖い一面があります。
暗闇での一本の灯火はとてもよく目立ちます。それ故に、人はそれを導きとしやすい。ところが逆に辺り一面の光の中では何も見えない。雪原の黒豆一つは、反射光や白色の膨張効果もあってかき消されてしまう。深い霧のかなでは足元さえ見えない。いわゆる、「ホワイトアウト」というやつです。もしくは「五里霧中」でしょうか。
世の中の悪いものも、一寸先も、足元も、真っ白い「希望の光」に満ち溢れていると何も見えない。
逆に、それが怖いのです。
そんな時、人はどうすべきか。
昔、高校生の時にスキー合宿で宮城県の蔵王に行きました。一日目二日目はほどほどの天候だったのですが、最終日は吹雪の中、山頂付近から麓までスキーで下るという最終ミッションが行われました。
地元インストラクターの先導のもと、美しいと言われる樹氷なんて楽しむ余裕もないまま、無我夢中で前を行く人を見失わないようについていき、ゴールまでたどり着いたときは皆でほっとしたの覚えています。なんせ数日前までスキー靴を履いてゲレンデに立ってるのがやっとという初心者達なのですから、よくまあ事故を起こさずに終わったものだなあと。
今、あの時のような先導となるインストラクターはいません。
今、立っているところが山なのか、平地なのか、崖っぷちなのか、それさえも分からない。
辺りは白く深い霧の中。持っている電灯も役に立たない。
でも、さっきまで誰かが隣にいた。それだけはわかる。
上手くやってやろうなんて考えも、自分は世界一だなんて思いも、霧の中では通用しない。
ましてや名誉もお金も価値を持たず、すべて消し飛んだ、その中で残ったもの、それは《自分》という存在感だけ。
そんな時、人はどうするか?
闇と言う字は門構えに音と書きます。希望の光の「白い闇」の中で響くもの、それは「音」です。
灯台守は知っていました。霧笛を鳴らす意味……「私はここにいる」。
コウモリやイルカたちは知っていました。エコロケーション(反響定位)の意味……「あなたはどこなの?」。
そうだ、私の全てを楽器にして、あたりに響かせよう。
「おーい!」
たぶん誰もが必死で声を上げると思います。きっと近くにいる、誰かに向かって。
「私はここだ!私はここにいる!」「誰かいないの?誰か~」
どこかから声が聞こえる。見えなくても、誰かを感じる。
声が一つ上がり、二つ上がり、三つ上がり、不思議なハーモニーになっていく。
その時、希望の光は音色になる。虹色の音階が満ち溢れていく。
まるで、パンフルートのよう。
管の一本一本が私たち一人一人。どこか遠くに行く必要はない。ただ一人一人がその場所でその身を響かせ、輝かせ、各々の音を奏でればいい。生まれ持った《自分》という名の音を。
だけど。
多くの人がこの世の暗さを嘆きます。勘違いに気付かずに。
この世は真っ暗だ。未来なんてこない。地球はボロボロだし、災害は多いし……。
子供たちまで「子供を作らない宣言」をする始末。不安だらけの世の中だ……。
そうじゃない!
真っ白い光の中で今私たちは生きている。「希望の光」に目がくらんでいるだけ。目が慣れていないだけ。
この世界はどんなものでさえ、先人たちの作った「希望の光」だけで出来ています。過去が暗ければ暗いほど今、周りに満ち溢れているのは光、その中で私たちは生きているのです。
ドラえもんを思い出してください。テレビも、車も、スマホも、ドローンも、みんな先人たちが心に描いた「こうなったらいいな」が形になった物です。希望の塊に囲まれて今の私たちは生きている。
今自分がいるのは真っ白い「希望の光の中」。もう希望探しゲームはいらない。
それに気付いて。それに自信をもって。
光の眩しさに慣れた時、霧の中でも一人ではないと気付いた時、きっと私たちは未来への迷いがなくなっていることでしょう。
白いノートからそんなことを考えた、夜でした。