あひるのひとりごと

国指定の難病であるSLE(全身性エリテマトーデス)患者だけど、精一杯生きてます。大好きな植物さんのこと、ルーマニアの伝統楽器パンフルートのこと、夢の実現への足取りや、そのほか想うこと…書いています。

「予防接種に思うこと。」

 今年も、インフルの本格的な季節が来ます。その前に先日、予防接種をまた「あねご先生(と、私はひそかに呼んでいる)」の所で年に一度のあいさつがてら受けてきました。

 

 自己免疫疾患であるSLE(全身性エリテマトーデス)のワタクシにとって、風邪やインフルは罹っては困る病気です。SLEの症状が出ないように、常に免疫力をわざと下げざるをえないのですから。つまり、たわいのないウイルスでも罹れば重症化し易いということなのです。ただでさえちょっとの熱に弱い私なので、戦々恐々です。

 

 世間では、予防接種についての議論が起こっていますが、今日はそのことについて思うことを。

 

 

 自然派を自認する方々の間では、予防接種を受けないことがセオリーになっているようです。一つ目は、自己免疫を高めれば罹らないという理論、二つ目はそもそも効果が疑わしく、むしろ副作用の害の方が大きいとの説、三つ目は予防接種ワクチンには水銀が含まれている事での重金属汚染を避けたいが為、というのが主な理由らしいです。何よりも、「昔はそんなものがなかったから」という漠然とした不安が自然派を自認する方にとって許しがたいものなのでしょう。

 

 一方で、上記のような理由で各種の予防接種を受ける人が減ってしまったヨーロッパ圏で、はしかの患者数が増えているという話も聞いています。とある保育園では、予防接種を受けなかった子の間ではしかが流行ってしまい、予防接種をまだ受けられない年齢の子が罹って重症化した親が裁判を起こすということが起こっているようです。中には、予防接種をしていない子の保育園の入園を拒否するところも出てきています。

 

 日本では、風疹ワクチンの接種について、今妊娠している方と、子供に風疹ワクチンを打たない主義の方との間でのバトルが静かに勃発しているとか…。

 

 罹っては困る人と、予防接種という異物を恐れる人との静かな攻防。

 

 

 昔、私が参加していたとあるプロジェクト(実際にはそれらしい活動は出来なかったけど…。)のテーマを思い出します。

 

 Between Eco & Ego 「エコとエゴのはざまで」

 

 エコは時によりエゴに変わります。人と人の間に「隔離感」という壁を作ってしまうのです。

 

 

 予防接種にはメリットデメリットが勿論あります。

 

 メリットとしては、病気にかからない、もしくはかかりにくいこと、そしてキャリアとして病気を拡げないこと。

 デメリットとしては、弱毒であっても逆にその病気になる可能性、効果がない可能性、重金属等添加物の蓄積による二次被害(ガンや免疫疾患やうつの元凶の一つという説より)の可能性。

 

 どちらを選ぶか、未来への読み解くヒントは、「個人として見るか、人類全体として見るか」だと私は思います。

 

 人類全体としてみる時、歴史を紐解くと予防接種は人々の切なる願いの中で生み出されてきたことが分かります。近年、致死率の高い病気の大流行は起きにくく(むろん、ゼロではない)なっています。しかし、ほんの100年前は、はしかやインフルはもちろん、肺結核天然痘日本脳炎といった現在ではワクチンで防げる病気が蔓延し、死者も多かった。現在それらが減ったのはワクチン接種はもちろん、衛生状態の向上もあるし、生活の変化もあると思う。しかし、天然痘の様に撲滅宣言が出せるまでに至った経緯としては、地球規模でのワクチン接種に取り組んだ並々ならぬ先人たちの努力の成果があったことは見逃せない事実であると思う。はしかなどは折角一時期患者数が減ったのに、ある意味…こんなことを言ってはかなりのご批判を受けることを承知で…「個人的な心情」で接種率が下がってしまったばかりに地球規模での患者数が増加してしまっているのはとても残念なことだと思う。そう考える時、ある意味、予防接種を受けない(体質的に受けられない人は除いて)選択をする方々は、エコロジストではあるがエゴイストでもあると私は感じてしまう。

 

 もっともその要因が、はしかの予防接種免疫のある親から生まれた子供は逆に小さいころからはしかになりやすく、予防接種をさらに小さいころから受けなければならないパラドックスに陥っているせいだ、という説もあるようですが。

 

 

 いろんな説が飛び交っている中で、じゃあ、原点に戻って考えて未来はどうあるべきか?

 

 

 そもそも、インフルなどの変異が激しいウィルスや子宮頸がんワクチンの癌予防との因果関係は別として、それ以外のワクチン接種は天然痘の様に撲滅できるくらいまで患者数をまず減らすことが人類共通のやるべきことなのでは?と思うのです。そうすればおのずといつの日か結果としてワクチンが必要なくなる世界になる。きっと。

 そこに至るまで、副作用としての後遺症に苦しむ方たちも中には出て来るけど、もうそこは「運命(そもそも、「運命的」交通事故死より「故意的」自殺者が多いという現状も問題だが)」としか言いようがない。もちろん悲しい事ではあるし、出ては欲しくはないし、減らすよう改善を続ける努力をしたうえで。でも、その病気自体で人類全体が苦しむか、自分が苦しむかといったら私だったら自己犠牲を取りたいと思う。それは人として地球上に生まれたどんな人も負うべき覚悟と責任の一つとして。きっとそのこと自体にも何か学ぶべきことがあると思うから。自分だけ良ければいいという選択が、全体を滅ぼすきっかけにならないことを切に祈ります。自分という一本の木を守ることも大事ですが、森全体という環境を守らなければ結局中央にある一本の木を守れない。未来を語る上では、とても大事だと思います。角を矯めて牛を殺す、にならない為にも。

 

 また、先のブログで紹介したSLEの本の中で、自己免疫疾患と重金属・ワクチン中の水銀との因果関係に触れられていまして、確かに無関係ではないとは思うのですが、ただ、日常的に摂取する重金属・水銀の量と一生に一度もしくは年に一度のワクチン接種で体内に取り込まれる量で秤にかけた時、どちらが多いか?しかも流行性で致死率の高い病気のリスクと、確実罹患率が低い自己免疫疾患になるリスクのどちらを取るか?といったら、やはり現状では確実罹患性が高く致死率の高い流行性の病気を防ぐ方がはるかに人類全体にとってはプラスなのでは?と思います。

 

 断っておきますが、多数が幸せなら、少数の犠牲は致し方ない、というわけではありません。要は、その少数の方たちも尊重しつつ、常に最善の道を未来に向かって模索し続ける努力を人類は必死に行い続けることが最も重要だと思います。

 

 

 もっともこれらと別次元の話として、予防接種というビジネスチャンスを推し進める製薬会社と影の政府との癒着と巨大な金の流れについては、ここではほっときます。悪は悪によって滅ぶし、私たちは泥の中から開く蓮の花でいつづけるならば、何も恐れることはないと思うから。

 

 

 とにかく、ワクチン接種賛否両論をうんぬんし続けるより、私は病気撲滅に邁進してきた先人たちの知恵と勇気を尊重したい。その祈りと願いによって生み出されて来たワクチン接種という方法を信じたい。人間を信じたい

 ただそれだけなんです。

 

 反対派の人にとっては「お人好し」「悪の片棒担ぎ」と言われそうだけど…。

 

 

 インフルの予防接種から人類規模の話まで発展してしまいました。でも、声高に正義を叫ぶより、知識を拡げ、人類全体の視点で見た時、未来のために今自分がするべきことは?と常に問い続けることが、しいては人類を救う道しるべになるのだと思います。