〈SLE体験談 その13〉

 皆さんこんにちは~梅雨に入りましたね。カビが気になる半面、曇りの日が多いので紫外線対策がちょっと楽(油断は大敵ですが)。出掛けるチャンスかなとも思います。楽しんで生きましょう。

 さて、今回は現状とこれから!について。


 前々回の外来から通院間隔が2週間から3週間に伸び、ステロイド剤が1ミリ減量の9ミリになりました。先生が何より恐れてるのがステロイド剤の蓄積作用で、それを考えるとなるべく早く減らしたいのですが、急激な変化は反作用を招くので、数値を見ながら先生いわく「最終目標は5ミリ、なおかつ血漿交換は卒業」、でも後は数年かけてゆっくりですね~とのこと。当初は測定不能なくらいの高数値で、腎生検の結果も「Ⅳ」という深刻な状態だった(!!)のから比べると、順調ですね、頑張りましょう、とのコメントでした。

 治療上の数値はあくまで基準値に近づきつつありますが、では日常生活はどうか?ということですが、退院当初に比べれば楽になったとはいえ、多分これは一生の付き合いになるだろうなという症状はいくつかあります。

全身のうずき…じんじんとしびれるような感覚。
動悸というか全身の脈動を強く感じる。
息が上がりやすい、息苦しいような感覚。
しんどくなってくるとキーンというような耳鳴りが強くなる。疲れが取れると収まる。
ぐ~っと眠くなるというかまぶたが重くなる。
頭が働かない。

 そんなときの対処法はひたすら「横になって寝る!」
考え事をしたくても、かたづけたくても、時間がもったいないと思いつつ、しんどい時は同時に頭も働かないことが多いので、何も考えないようにしてとにかく「あきらめて」寝ます。寝れる時はまだいい方で、横になるだけの時も多いのですが、悪あがきで重くなったまぶたを必死に片目開け、スマホで調べ事する時も。逆に夜中目が冴えて眠れなくなることもあり、あせらず無理せず今度は眠くなるまで起きてます。
とにかく自然体をモットーに生きるのがこの病気と付き合うのがコツといえるのかなと私は思います。最近注目されている自律神経を正常に保つメソッドは心身ともに効果のある方法だと思い、学んで取り入れています。

 それにしても、退院当初から比べると体調はだいぶ楽になりました。一時かなりボリュームが減った髪も戻りつつあります(ぼろ隠しと汗取りを兼ねてのバンダナ巻きはまだやっていますが)。この長い髪の中には、細く色が薄い部分が一部あります。病状が酷かった時のなごりです。根元からの間隔が次第に長くなっていくのを見て、時は移ろっていくなあと感じます。私の大事な記念品として、時折り、箱にしまっていたりします(ちょっと趣味悪い??)。

 そして、これからのこと。

 自分の人生の責任を病気や誰かのせいにせず、代わりに出来る事を必死に考え実行する。
前回の「私は私を生きる!」ということは、つまり同時にこのことでもあると思うのですが、「病気になったから○○出来ない」と逃げない。病気持ちの母はよく「病気が良くなったら…」と先延ばしの夢を言っていました。現在はというと、脳梗塞の影響もあり、失語症のリハビリをしながら父による介護生活を送っています。父や母の姿を見て、人生がもったいないなあと思うことしきり。私は同じ轍を踏まずに生きていく!と強く思っている次第です。私の生き方の密かな憧れは、上橋菜穂子さんの「獣の奏者」の主人公、エリン。まさに「生ききる」とはこのことだと感じさせる姿に、フィクションでありながらこうありたいなと思っています。興味のある方はどうぞご一読ください。

 なかなか実現までは難しいですが、いろいろやってみたい夢を一歩ずつ計画を立ててはいます。ネット社会はそれを発表できるのはいいですね、一瞬で世界中に宣言できるのですから。ただし責任を伴いますが。

 ということで、ではここで発表しちゃいます!やりたいことベスト10!小さい希望から大きな無謀まで(笑)。

ヤフーブログの引っ越し(これは必要に迫られて11月までに!)。
ホームページの再構築(これもHPの引っ越ししてから手つかず)。
リンパなどの体の仕組みと古代食の勉強(これは一生のテーマですな)。
切り絵とパステルアートを組み合わせた作品の製作と販売(手に職も必要)。
薬草やハーブ・野草の勉強、そして生活への取入れ方法の模索と提案(東南アジア・韓国をお手本に)。
パンフルートをはじめとする音楽演奏会を開く(やっぱりこの音色が好き)。
小説を一本書きあげる(主人公のプロットがまとまりつつあります)。
自宅ショップのメニュー開発と開業(これはあと20年は先かな)。
地域の土壌・気候に合わせた森林生産品の研究(この里が好きだから)。
地域自立のためのアヒル卵の生産・商品化・流通の実現(日本初の取り組みかも?)。

…発表しちゃったー!!もう後戻りはできないぞ。

 最後の二つは私の為というより息子たちの為かな。実現するのは恐らく数十年後。その時、わたしはいるでしょうか?私はいなくても、この大地が覚えていてくれることでしょう。そう願って。

 というわけで、これにてひとまず〈SLE体験談〉はおしまいにします。今後ともこの病気との付き合いは続きますが、状況については時々、アップしたいと思います。

ではでは、また…!